少なくとも僕には得るものなしの駄本。これだけの面子(いや、それゆえか?*1)が揃って読後感に何も得るものがないのは驚くべきこと。
- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/09/26
- メディア: 単行本
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ぐだぐだ書こうとしたけれどももうひとつの方でやることにしました。いまアメリカで起きたことに比べると興味沸かない。
少なくとも僕には得るものなしの駄本。これだけの面子(いや、それゆえか?*1)が揃って読後感に何も得るものがないのは驚くべきこと。
ぐだぐだ書こうとしたけれどももうひとつの方でやることにしました。いまアメリカで起きたことに比べると興味沸かない。
不思議なことなのですが、教える立場になると、超噛み砕いてなおかつ直観的に、さらには時事的テーマをからめて語る際には、依拠するテキストが直観的でかつ時事的テーマが豊富なものよりも、かえって簡明な理論中心で説明をしているものの方が、教員としては使い勝手がいい場合があります。
直観的な説明は自分でしますし、また時事的なテーマはどうしても既存テキストのものは出るしょっぱなから多少の古さを免れませんから、これまた自分で補ったほうがいいのです。むしろ本の書き方が特殊な時事的テーマを援用して説明してあったり、直観的な説明が延々と続いたりしているとかえってまだるっこしく感じるときもあるのです。
ですので生徒として読むのと教員として使うのとは自ずと違うなあ、と特に時事性や制度的な話題に事欠かない国際金融論などでは毎回思ってました。このテキストはその意味で、僕には使い勝手がよさげです。最新の理論・十書的なテーマがわかりやすく展望されているのもテキストベースではほかになかなかないのでは?
ちなみに今日から後期の講義開始。
コア・テキスト国際金融論 (ライブラリ経済学コア・テキスト&最先端)
岡本さんのarg経由http://d.hatena.ne.jp/arg/20080929/1222644679で知りました。二村一夫さんが、『労働は神聖なり、結合は勢力なり−高野房太郎とその時代』(岩波書店、2008年9月刊)の相互補完本を公開されたとのことです。
二村さんといえば赤間さんと並び、僕には経済関係でいち早くかつネットを徹底的ともいえるスタンスで利用している方という印象です。いままで実は書かれたものをあまり拝読したことがなかったのですが、この高野房太郎研究は、いまの僕の関心からいっても外せないものなので読んでみたいと思います。しかも岩波書店と相互補完本の元となる連載(「高野房太郎とその時代」http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/tfcontents.html)も読めるようですね。素晴しい(写真が多く楽しめる)。僕とは多分、二村さんは日本の社会政策への解釈が違いますがそれでもこの研究は基礎的なものですね。