21日の日本銀行の政策内容の事実上の事前流出について


 これは21日に書いた趣旨のものですが、誤って削除したものを改訂復刻したもののひとつです。


 21日ではお昼(正確な時間はわかりませんが会合終了よりはるか前)にNHKが(私の見たのはブルームバーグHP上)福井総裁が利上げを提案した、という報道に非常に驚きました。これは別エントリーに書いて(やはり間違って削除しましたが)いたことですが、今回は日銀とマスコミが意図的に報道管制を強化していたと思われたところでまたしてもこのような会合内容、しかも総裁提案という常識的には会合決定そのものと予見できるものが報道されたことに驚きを禁じえませんでした。この報道が情報を得てから流れるまでにはもちろんタイムラグが存在していますし、この情報の公知を利用したさまざまなインサイダー情報の利益が考えることができると思います。しかし現在までのところこの点について指摘している大マスコミは存在せず、ネットで日銀・金融関係のマスコミと称する方々のブログでもなんの批判的コメント(コメントすらもたぶんないのでは? 要確認中)もありません。正直、その意識の低さには驚きを禁じえません。


 この件について関連したコメントは大メディアサイドからではなく、なんと(なんとと書くと申し訳ないですが)ラスカルさんのブログでのラスカルさんと銅鑼衣紋さんとの間で興味深いやりとりが行われていました。以下に有益なので引用します。みなさんにはラスカルさんのエントリー全体もチェックいただければ幸いです。


銅鑼衣紋 『情報統制は本当に厳格だったか深刻な疑問があります。12時40分過ぎにNHKに一報が出ましたが、毎度の容疑者である政府委員は13時過ぎまで部屋を出ていないようです。誰がNHKに議長提案をリークし、銀行がロンバートで資金調達するのを助けたのか?闇は深い・・・』 (2007/02/22 20:01)

 rascal 『今回は1月の時と違い、前日までの観測報道が殆ど無かったので情報統制が効いているように思ってましたが、その後の報道を見ると、報道機関側の自主規制もあったようですね。昼頃の会議途中での速報が、ご指摘のように銀行のロンバートでの資金調達を助けるために意図的に行われたのだとすると、ちと問題が大きくなりますね。』 (2007/02/22 23:31)

 この両者の発言を念頭にこのブログの発言内容の最後部を読んでください。あえて何もいいませんが。


 日銀とマスコミの関係は90年代の日銀スキャンダル報道の経緯、その後の藤原前副総裁選出なども含めてもう一度検証する必要があると思います。いや、そこまで広げなくても今回でも十分に大きい問題か。

(補遺)いまみたらドラめもんさんのところでこの問題を大きく取り上げていますのでご参照ください。

 経済学・反経済学論壇系アルファブロガーになる方法(試行版)


予告したエントリーです。田中とITOKさんの共作です。ネタにしては猛烈に労力かけてます 笑


 まず基本的な事実を指摘したい(なんか偉そうだ。以下基本的にこの調子でいく)。世にいう日本のアルファブロガーはてなキーワードによると「webサイト「FPN」の企画「日本のアルファブロガーを探せ」によって選出されたブロガーを指すことが多い」)に比べると、国際的に有名な経済系ブログでさえその集客力の点では大差をつけられているのが現実だ。


かの有名な経済系ブログであるゲーリー・ベッカー・とリチャード・ポズナーのブログでも当人たちの発言によれば全世界的に閲覧者を得ながらもせいぜい一日当り1000アクセス程度だという(『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』(東洋経済新社))。この数は当ブログの平均すら若干下回っている。そして日本の論壇系アルファブロガーはおそらく一日平均1万件前後のアクセス数を誇っているに違いないという事実は驚くべきことである。

ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学

ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学


例えば私(だけでなく、おそらく多くの支持を集めるだろう)が思う世界で最も優れた他を圧する経済系ブログは、James HamiltonとMenzie David Chinnのブログだろう。彼らのブログの更新頻度の高さ、時事的テーマにしぼり、なおかつ理論と実証の高水準の分析は驚異的である。彼らの前にはさすがのマンキューブログも顔色なしであろう。しかし彼らのブログはそれほど集客しているようには思えない。マンキューブログやベッカー・ポズナーブログにくらべてコメント数やTBが少ないことでもそのことがわかる。いわば敷居が高いのだ。

この敷居の高さを「経済学帝国主義の罠」と名づけよう。経済学帝国主義とは、金銭のやり取りが明示的に関わる取引だけでなく、あらゆる人間の意識的・無意識的な選択行為に経済的な合理性(=最小の費用で最大の利益を得る)をもってその行為を評価する姿勢を指す。こうなると既存の政治・行政・法律・社会に関わるほとんどすべての活動やそれを対象としてきた学問が、経済学によって再評価され、経済学の目で従来の解釈とは異なる意味を与えられてしまう。既存の分野の研究者やその支持者にとっては既得権=領土を侵されてしまうので、感情を刺激したため「帝国主義」という称号を得たと思われる。しかも経済学の拠ってたつ経済的合理性をマスターするにはただ単に教科書を読んだだけでは難しい、応用のコツまであり人文系の他分野からの参入が容易ではないのもこの経済学帝国主義の帝国ぶりへの感情的反発を増す効果を与えている。しょうがないのでその場合、多くの人々が「経済学は役に立たない」「経済学につつこみ力」などという始末であり、経済学の参入障壁の高さが感情的反発とからむ形で、内外ともに反経済学の源泉になっているようである。


ところで日本の経済学論壇系ブログをみてみると、yyasudaブログが意外と強力な集客力をもっていたり、小田中直樹さんや稲葉振一郎さんもいるけれどもどう過大評価してもせいぜい3000〜2000の一日アクセス数だと推察できます。大竹文雄ブログ、このブログ、さらには飯田泰之ブログも似たり拠ったりのアクセス数であり、アルファブロガーにはほど遠いのです。そして経済学者がアルファブロガーになれない最大の原因はこの経済学帝国主義(と外部の人が思うもの)に原因があるように思えるのです。まあ、僕を慎重に抜かしていただいてもかまいませんが 笑 経済学者がほとんどの問題を扱うときは、基本的にいかなる話題であれ経済的合理性で考えているはずです。この経済的合理性が参入しがたい、経済系ブログになじめなさを加えている要因でしょう。

 もちろん経済学系ブログもその参入障壁を下げる試みはいくつも行っています。実際に小田中ブログはフランスネタを、梶ピエールブログは(名前はピエールなのにフランスネタではなく)NHK衛星放送ネタを、稲葉ブログはサブカルネタを、飯田ブログは有名新書批判ネタを、そして当ブログは韓流ネタなどを駆使して愛嬌、、もとい経済学のとっつきにくさをカバーしようとしています。

 しかし残念ながら以下にとりあげる経済学・反経済学論壇系アルファブロガーに比べるとその努力はいまだなのです。むしろ経済学ブログで生きようとすればするほど大きな壁に当たるというのが実情ではないでしょうか。


 その壁をやぶるヒントは、以下のサンプルブログをご覧いただきたいのですが、①オレ様基準の展開、②専門家であることの自己演出=オレ様偉さの確立 の二点だと思われます。そしてこの二点は例えばベッカー・ポズナーブログにはまったく欠けているという意味で対照的です。①についてはベッカー・ポズナーブログはいうまでもなく経済的合理性ですべてを解説していますので、最もオレ様基準から遠いものです。②についても最高裁判事ノーベル経済学賞受賞者がいまさらオレ様偉さの確立に走る意味すらないでしょう。しかしこの欠如こそがなんとベッカー・ポズナーブログをはじめ多くの経済学論壇系ブログの集客=啓蒙限界を形成しているというパラドクスなのです。いや、それほど力いれなくてもいいんだけどw
 しかも強調しておきたいのは、この①と②だけをアルファブロガーは展開している独善的なものではない、という巧妙な仕掛けをもっていることも明らかなことなのでございます。


では現在、経済学・反経済学論壇ブログでアルファブロガーの栄誉を抱くふたつのブログ、dankogai氏のブログ(こちらがもちろんご自身オレ様発言で事実上明言しているように反経済学系ブログであります)と池田信夫氏のブログを検討していきましょう。以下はまだ基礎資料にしかすぎませんので批評には遠いですがそのうち修正していきます。なお「釣り」はここでは啓蒙の必需品という前向きな評価ですので悪しからず。

続きのdankogai、池田ブログ基礎資料編は、データが長いのでエンタメの方に移植。

http://reflation.bblog.jp/entry/357803/

http://reflation.bblog.jp/entry/357806/
を参照ください。