「大戦のもたらせる思想の変化」『全集2』大正7年11月25日号(東洋経済、以下別記なければ同誌)。


「けだし英国に発祥し、英国に最も強く伝われる個人主義なるものは、決して社会の統一的組織を無視したるものではない。たとえばこれをアダム・スミスの経済学に見よ。彼は産業に対する政府の干渉を排斥した。而して個人の活動の自由を主張した。しかしながら彼がかく個人の自由活動を主張したのは、決して個人が銘々勝手我がままを行ってよいという意味ではない。個人に活動の自由を許すことこそ、もっとも善く社会全体の利益を増進する方法であると信じたからである。英国のいわゆる個人主義者が個人を尊重するのは、皆この意味である。彼らの欠点は社会の統一的組織を無視したことではなく、それを得る方法にある。すなわち個人の利益は、これに何らの制限管理を行わざるも、自然に社会の利益と一致せねばならぬと見た点にある」。

 カート・ビュシーク&アレックス・ロス『マーブルズ』


 高いよ、アメコミ。これは現在、品切れ。定価は2400円。近所の古書店でたまたま入手。お話の内容はアメリカ大手コミック専門書店のマーブルズが生み出したコミックのヒーローたちが総出演して、彼らに魅了されたカメラマンを通して、ヒーローの意義やその歴史の歩みと社会とのずれを描写したもの。どんなヒーローがマーブルズにいたかというと、一番わかりやすいのがスパイダーマンファンタスティック・フォー、Xメンなど。

画像は原書のもの。私が読んだのは小学館プロダクションの邦訳版。

Marvels

 さて物語自体は前半が面白く、後半にいくほど退屈してくる。それは簡単にいうと「ヒーローとはなにか」というモチーフ自体が長い物語を維持するには退屈だからである。ここでいう「ヒーロー」とはより限定されたマーブルズで活躍したコミックヒーローとは何か という話である。ある意味、非常に読者対象を選ぶ狭い話題であろう。ヒーローの内面的な苦悩、ヒーローの実在を掘り下げることで面白さを倍化している映画(ここ強調)『スパイダーマン』『バットマンビギンズ』『デアデビル』などの作品があるが、このコミック『マーブルズ』はそれらほど一般受けしないだろう。


 この点にこだわるのが、このブログをご覧の方にはわかると思うが、増田悦佐氏が行ったアメコミのテーマの単調さへの批判に対する一部アメコミファンの反批判の根拠として、昔の勧善懲悪のヒーローものではなく、ヒーローの内面性にせまったコミックが中心、という主張の田中なりの再点検につながるのだ。ヒーローの内面性をほりさげるのはいいのだが、しかしコミック自体がいつまでもスパイダーマンバットマンというヒーロー物に依存している構図はあまりかわらないのではないか。もっとも某ジャンプは決闘・勝負物が過半だろう、というご指摘がありますが、あそこには両さんがいますし 爆


 昨日、本ブログ(とりあえずここは経済系のブログです念為)でご紹介したトミーネの作品などがあるが、これも「オルターコミック」とくくられている時点で、やはり彼岸此岸の差は感じる。市場自体がせまく、読者対象も限定されている、という印象をあらためて実感する作品である。


 ところでそうはいうものの面白いアメコミも多いのも事実である。本ブログではアメコミファンが過激化してただの粘着になった光景を目の当たりにしたと思うので、不肖私がアメコミ勉強ついでに(増田氏の尻拭いかよ 笑)気にいったの、評判ほどにはよくなかったのを彼らに代ってここでバランスよく(ただのネタとして)ご紹介しよう。マンガばかり読むとバカになるよ、と親にいわれた頃を思い出す昨今ではある。(^^;)。


 本エントリーで能書きはたれたので以降はDVD生活と同じようにあっさりコメントと☆ですます所存。本書は☆☆☆



 過激化アメコミファン(粘着系な人はこの範疇に入らずただ迷惑なだけです、悪しからず)がまた出てきたら、日本漫画の伝統作法にのっとり今度はデスノート(現代版魔太郎メモ)に名前を書いて、「アメコミの悪口をさんざん公言してから一時間後に、誰にも迷惑かけずブログにも書き込まず氏ぬ」とか書くのでよろしく。穏健なアメコミファンの意見は大歓迎。というか探す努力も並行でしないといけない。メラメラメラ